甲子園優勝校の監督が現職の小学校教諭とは!? 慶應高校の選手たちから見えてくる「主体的・対話的な深い学び」【西岡正樹】
◾️何がなんでも勝利至上主義とは一線を画している
森林さんは「教師の顔」を持ち、「監督の顔」を持っていますが、二つの顔を重ね合わせると「監督の顔」の下にある「教師の顔」が大きくてはみ出しているように見えます。森林さんの言葉や実践は、それほどに教師なのです(森林さん自身は中小企業の経営者という意識が強いと仰っていましたが)。
高校教師をしながら高校野球の監督をやっている人はたくさんいます。その多くの監督たちが持っている「監督の顔」と「教師の顔」。その2つの顔を重ね合わせても、「監督の顔」の下にある「教師の顔」が見える人は少ないでしょう。
何故なら多くの監督が、チームを勝たせることを至上の目的としているからです。そういう視点で森林さんを見ると、森林さんは「監督であるが教師」なのです。だから、どのような大会であっても試合であっても、それは選手一人ひとりの「成長の機会」であると捉えることができるし、ブレない実践ができるのです。
それでも、森林さんも高校野球の監督として、とことん勝利を目指していることは疑いようもありません。「優勝するために、この試合に勝つために、チームが成長するために、総合的な判断をする」という森林さんの言葉に、その意志が表れています。しかし、「何が何でも勝つ」という勝利至上主義とは一線を画していることも分かります。
◾️「楽しむために一生懸命やろうよ」という下地
「甲子園Vへの軌跡たどる 下」の中で、決勝で敗れた仙台育英高校の須江監督は、慶應高校の野球部について次のように語っていました。
「エンジョイベースボールの神髄だと思うのですが、楽しむために一生懸命やろうよ、という下地があった。現代野球に必要なスキルやフィジカルがあった。その上で思考力が高い」
偶然にも、須江監督の言葉に応えるような森林さんの言葉があります。
「指導する上で一番大切にしているのは、選手が自分で考えることです。放任ではなくて、好きで野球をやっているのだから、どんな選手になりたい、どうやって投げ、打ちたいかは当然真剣に考えるはずです」
森林さんの言葉がいかに選手に浸透しているか。実際に「凄いな」と思えるようなことが、甲子園の期間中にも起きていたようです。
春の大会で4番を打っていた選手が調子を落とし、夏の甲子園では彼の打順は下位に甘んじていたのですが、なんと彼は甲子園が始まる前に、打撃不振を打開するため自らの意志で打撃フォームを変えたのです。そして、自分の課題を分析し、フォーム変更の理由を言語化しながら取り組み、甲子園の期間中のオフの日も志願してバットを振っていたということです。その結果、甲子園が終わってみれば、彼はスタメンの中で最高の打率をたたき出していたのでした(「甲子園V軌跡たどる」より)。
「ちょっと遠回りになっても、選手に考えさせて、試行錯誤して最終的に自分で摑んだものが真の力になる」
まさに、その森林監督の言葉を具現化した結果になりました。
きっと、森林さんは選手たち(子どもたち)を信じ、練習や試合(教室)においてさえも選手たち(子どもたち)にプレーの判断を委ねることができるのです。選手たち(子どもたち)もまた、それを当たり前のように自ら考え、練習し(学び)、技術や体力(思考力)(行動力)を上げていき、そして試合(さらなる学び)に臨むのです。
言葉にするのは簡単なことですが、これを日常的に実践し、結果が出るまでやり続けるのは容易なことではありません。やはり、指導者としての理念が明確にあり、それを貫き通す信念があるのです。また、それを受けた選手たちが「スポーツとしての野球を楽しみ、技術や強さの向上を追求する」(大村キャプテンの言葉)姿勢を見せなければ形として何も生まれません。